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ヨコハマという街は場所によっては少しほど異国情緒とやらの香りがする土地で。
商いというお題目の下、そういう香が染みついて取れないほどな処もあれば、
観光地としての箔代わりにと ちょっと上書きされてるだけな、
至って薄っぺらで風情すらないよな場所もあるそうだけれど。
ここで育ったわけじゃあない敦には、そんな真贋なんてのはちいとも判らない。
それは何も“ヨコハマ”の空気に限ったことじゃあなくて
物心ついたころからのほぼずっと、
あの監獄のようだった孤児院だけが生活の居所だったため、
物事への物差しも常識も、何もかもが歪で矮小で。
特に、美しいもの素晴らしいものは、角の擦り切れた本の中にしか在りはせず、
徳にあふれて弱きを助けるような優しい貴人も、
お伽噺で王子に見初められる淑やかな佳人も、現実に存するものとは到底思わなんだ。
そんな自分が探偵社に勤め始めて、そりゃあ綺麗な人たちと毎日過ごす身となった。
抜け目なく他人の粗探しをするような、はたまた上の人の機嫌をばかり窺うような、
凄むことで自分の方が上なんだと虚勢を張るような、
いかにも浅ましい顔とか態度とか罵声とかとか、
そういった胸の悪くなるよな人なんて全然の全く居ないところで。
皆さん 朗らかだったり高潔で凛とした人だったり、
品のいい、気持ちのいい人ばかりなのが、胸が空いて心地よくって。
ことに太宰さんの姿の良さや立ち居振る舞いの見事さは、
ふとした拍子に視野に入るとそのまま見惚れてしまうほどに
繊細で、でもどこか不思議な、熱のような香りのような、
雰囲気とでもいうものか、そんな独特な存在感を持っている人なものだから。
通りすがりの娘さんたちがそうなように、
しばらくほどは敦もついつい その蠱惑的な風貌から目が離せなくなっていて。
思慮深くて吸い込まれそうに深色した瞳、
くっきりした目許がやや伏せられれば、
瞬きのたび長い睫毛が落す陰が得も言われず意味深で。
なめらかな細線で引かれたような精緻な鼻梁に、
大人の男の人だというのにするんとなめらかなままのすべらかな頬。
表情豊かな口許は、知性によって引き締まり、
敦くん?
響きのいい甘い声で紡がれると、自分の名とは思えなくって。
時々返事をし忘れてポーっとなってしまってたほどで。
手入れをしてはないらしいもさっとした長い目の髪の下、
俯いて無心に本なぞ読んでおれば、
ちょっぴり陰りをおびた横顔が何とも言えぬ愁いを醸す。
いかにも派手で華麗な美貌じゃあなくて、
だがだからこそ周囲からの関心を引いてしまう、罪な人。
まま、実は結構な怠け者で、
言うこと為すこと怠惰でいい加減なのだと明らかになるのに
さほど時間はかからなかったのだけれども。
前職は元マフィアの偉い人だったとか、
色々と複雑に錯綜していて奥深い人だと気がつくのに もう少しかかったのは、
自身へ踏み込ませぬよう、それは巧妙に自分を取り繕っていた水臭い人だったからだと。
ホントの人となりを知りたけりゃあ、そこまで踏み込まにゃあならない困った人でもあって。
誰の負担にもならぬよに、その手をいつも後ろ手に組んで誰とも繋がぬような、
そういう可愛げのない奴なんだよと、腹立たしそうに毒づいた中也さんだったのが、
ああやっぱり優しい人だったのだと惚れ直したところへ帰着した辺り、
“ああ、逢いたいなぁ…。”
はふとこっそり息をつき、
ああやっぱり中也さん不足だなぁと、つくづくと感じ入る敦である。
暖かい懐にもぐり込みたい、硬くて頼もしい腕に抱きすくめられたい。
伸びやかなのに低められると深い響きがたまらないお声を聞きたい。
それは器用で行儀の良い、あの手で髪を撫でてほしい。
思えば尽きないあれこれを想うだけで、2,3時間は余裕で消化出来ると本気で思う。
“太宰さんに励まされたのになぁ……。”
硬いほど雄々しい胸板とか、意外と大きな頼もしい手とか、
充実した懐に顔を伏せるとうっとりするほど良い匂いがすることとか。
太宰さんが桜や百合みたいにどこかしっとりした雰囲気はらませて綺麗な人なら、
中也さんは凛と鋭角な美貌のまま、華やかに健やかに育ってしまった、やっぱり罪な人だ。
どちらかといや女顔の細おもてで、造作を描く線も細く、
細い眉込みで目許をぐっと尖らせるといかにも凶悪そうな面構えなのに、
他愛ないことへ はははっと声上げて笑えば、ガキ大将みたいに朗らかでざっかけない。
出来のいい青玻璃のような瞳を据えた双眸は、力むと冴えた三白眼なのに、
微笑むと柔らかな弧を描いて甘やかな印象に染まるからで、
気に入った相手へはそれは面倒見のいい誠実な人性を隠しもしない。
敦へも、最初は自分なんぞへ関わるな深入りするなと構えていたのに、
その懐へと囲うほどの仲になってしまえば、
何で遠慮なんかするのだ、飛び込んで来いよなんて、
双腕広げて頼もしく笑ってくれて、勿体ないほど甘やかしてくれて。
額同士をくっつけて屈託なく笑うところが好き、
伏し目がちになってスマホや文庫本に視線を落としている横顔が好き、
こぉのやろう〜♪とふざけつつ、こちらの肩を抱き込んで、
頼もしい手で髪をくしゃくしゃに掻き回されるのも好き。
タバコの匂い、帽子の下からはみ出す奔放な赤い髪、
自宅で鼻歌混じりにフライパンを揺するときの、
ちょっぴり油断している肩の線とか、なのに弓なりに伸ばされた背条とか。
拳を握って“こんの青鯖#”とがなる怒声まで、愛おしくてたまらない。
大人なところも子供みたいなところも全部が全部大好きだ。
「………はぁ。」
いかんいかんとかぶりを振って、
部屋の中央の長テーブルに無造作に積まれてあった
最近調査に取り組んだ事案のファイルを、関係する棚へと並べてゆく。
社会人なのだから、此処の社員なのだから、しっかりお仕事に集中せねばと、
背中を伸ばして、意識して口許を引き締める。
仕事に没頭しておれば、あっという間に
それこそ “あれ戻ってらしたんですか”なんて暢気な声でお迎えできるほど
あっけらかんと時間だって過ぎようというもので。
“…って、やっぱり中也さんが基準になって成り立ってるんだ、ボクってば。”
どれほど取り憑かれてしまっているやら、これはもうもう妄信に近いかも。
依存はするのもされるのも嫌いだよね、うん。バレないようにしないとね、なんて。
取り留めがないにもほどがあろうこと思いつつ、
すとんすとんと書架の整理を続けておれば、
「敦さん、」
先輩だが年下だからか、
調査員たちの中では唯一 “さん付け”してくれる賢治くんが、
事務所へ集まるようにという伝言持って迎えに来た。
「何かあったの?」
「それが、」
向日葵のように力強くも健やかに、
パキーっと音がしそうなほど目映く笑って、
「軍警からの依頼で、爆破予告への対処にあたるそうです。」
まるで夕飯の献立の話でもするかのような、
それはあっけらかんとした口調で告げられたものだから。
そっかぁ爆破予告かぁなんて、敦の側もまずは軽く受け止めたものの。
「爆破予告って………もしかして爆弾を仕掛けたぞっていうアレかな?」
直近では国木田さんが振り回された事件が印象深い、
何とも傍迷惑で厄介で物騒な贈り物。
もしかして聞き間違いでなければ良いんだけれどと、確認をとるように訊けば、
賢治くんたら やっぱりにっこりと笑って、
「ええはい、その爆弾です。」
「うわぁ。」
この子には怖いものってないのだろうか、
そういや、中也さんからも“鬼札”って呼ばれていたらしいしと。
この段階で早くも “おっかないなぁ”と目許を眇めた虎の子くん。
ヨコハマの平和を守るため、いわんや 愛しいお人が返ってくる場所を守るべく、
頼もしいお仲間と手に手を取って、さあ明日に向かって頑張ろう!
「…そういうお話でしたっけ?」
「さあ♪」
to be continued. (17.11.28.〜)
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*なかなか本題に入りません。居ない中也さんの存在感を醸したくなりました。
ウチの敦くんはもうメロメロです。だって素敵な人ですもの…vv
という割に“箱入り幹部”と呼び続けるおばさんですが。(笑)

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